山下南風とは

山下南風は長崎の心です

大正・昭和・平成を生きた長崎の芸術家。 版画家であり染色家、型染作家、切り絵作家、合羽版画家、 そして“古き良き長崎”を伝承したマルチクリエーター。

長崎を代表する、版画家・染色工芸家
切り絵作家、山下南風

山下南風(やましたなんぷう)(1917-1995)は長崎の異国情緒溢れる原風景や祭り、歴史の一幕などを多数描いた、長崎を代表する世界的に認められている、版画家・染色工芸家・切り絵作家です。切り絵と染めの技法をもとに編み出した「切り絵染」という独自の技法によって古き良き時代の長崎県民の心のよりどころとなるモチーフを、様々な方法で表現してきました。 昭和天皇が長崎へ行幸されたときのアルバムの皮染め表紙を担当したことや、県がオランダのベアトリックス王女へ献上した屏風を染めたことなど、大きく長崎県文化の普及に貢献しました。

"長崎らしさ”の伝承者

1935年前後の長崎の風景を記憶だけでなく、古写真や取材まで行い、次々に切り絵で作品化、都 市計画に対し問題提起を行いました。急速に都市化する長崎。昭和初期の「長崎らしさ」が姿を変え消えていくことに大きな危機感を覚え、1975年2月に鍛冶屋町の光風堂画廊で行った「山下南風切り絵展」では、「花街丸山界隈」西山のアトリエにて(現在の山下南風美術館)「モダンガールがさっそうと歩く思案橋」「市営交通「船」「大浦の長崎ホテル」「夏の大波止桟橋」「秋の浜町本通」「電気館」といった長崎の風景を描き、「昭和初期の長崎シリーズ」は生涯にわたる制作活動のひとつとなりました。

長崎を想う

山下南風は自分のスタイルを持ち、探究心に満ち 溢れ、常に変化し続ける芸術家でした。また芸術家としてだけでなく、切り絵作家・愛好者たちが集まって結成された「日本きり絵協会」の常任委員をつとめ、長崎市民美術展、長崎県民美術展の審査員をつとめるなど地域の美術振興にも尽力しました。南風が手がけた作品の背後には、時代時代のいろんな人たちの思い出が詰まっています。それぞれの時代の人が、思い思いの方法で「長崎らしさ」を残せれば、それが「誰かの心のよりどころ」になると考え、長崎をテーマに多くの作品を生み続けました。

観光業・メーカー・印刷会社などの事業者様へ

山下南風の作品は、長崎の風景や建物などの名所、伝統的行事などをモチーフにした作品がございます。
お土産の箱や包装紙などのパッケージをはじめ、グッズとの相性も抜群です。
利用ライセンス等のご相談や作品のご購入、レンタルにつきましては、お気軽に当社までお問い合わせください。

版画家・染色工芸家・切り絵作家 山下 南風(本名:山下直市) 1917~1995年 1917(大正6)年長崎市生まれ。

京都で修業を行い、長崎に戻り、1954年から1965年まで、長 崎県立女子短期大学の講師をつとめ、その間数々の作品を 制作。 特に注目すべき大きな仕事は、昭和天皇が長崎へ行幸されたときのアルバムの皮染め表紙を担当したことや、県がオランダのペアトリックス王女へ献上した屏風を染めたことなど、大きく長崎県文化の普及に貢献。1971年渡欧。約半年がかりで南蛮美術をはじめオランダ、スペイン、ポルトガルの美術品を観て歩く。帰国後はノリ染めに専念し、ノリを置くところ(白場)に色を置きたいという欲求から「切り絵染め」が始まりました。 1978年切り絵作家で知られる滝平二郎氏を会長に「日本きり絵協会」を設立。この運動に奔走し、同協会の常任委員をつとめました。長崎市民美術展、長崎県民美術展の審査員を19回つとめ、長崎の美術振興に尽力。

主な実績

長崎県が皇室へ献上 / 長崎市役所に寄贈 / 長崎県がオランダ王室へ献上 / 長崎純心大学博物館に多数所蔵 / 長崎県美術館に多数所蔵 / 料亭御宿 坂本屋に多数所蔵